2009年12月10日木曜日

聖女は誰が為に祈る

ふれたら崩れてしまいそうな細い躯。吸い込まれそうな大きな瞳。絹の様に滑らかに垂れる銀の髪。
この世界に遺されたどのような美術品をも、取るに足らないつまらないものにする美しさ。
彼女は聖杯に注がれた毒。
私はそれに口をつけようとしている――


「久しぶりね、ソフィーヤ。今は首相さんと呼んだ方がいいのかしら?」
暗闇に響く少女の声。
「・・ここは何処なの」
「貴女の夢の中よ」
コツコツ、と近づく靴の音に体が強張る。
「どうして彼女を捨てたの?彼女は今も貴女を慕っているというのに。」
つつ、と彼女の白くかほそい指が頬を撫でる。足が動かない。脳は駆け出せと切実に信号を発しているのに。
「彼女の事が嫌いになった?」
「・・自分とあの子だけの人生じゃなくなった。私はこの国の・・首相だから。」
嘘。そう言って彼女は強引に唇を奪った。
灼けつく思考。まずい、堕ちる。
「あの男の所為でしょ。私の可愛い『お姉様』」
「っ・・・!」
「あの子は貴女への思慕で人間性を保っているわ。もし貴女が彼女の心の均衡を崩せば・・その行き場の無い激情は何処に流れるのかしらね?・・・ま、半ば堰は切れかかっているけどね」
「貴女・・・!一体あの子に何を吹き込んだの!」
「私はただ彼女を慰めているだけよ。」
・・彼女が囁くのは貴女の名だけ、そう耳元で呟く少女。
「貴女が触れる物は全て壊れていく。彼女もそう。次はあの男かしら」
そっと服に手をかける少女。華奢な躯がスルスルと姿を現す。
「貴女が壊していくなら、私は壊れた物を愛せばいい。壊れた物はいとも容易く心を曝け出す」
逃げなくちゃ――理性を辛うじて保った脳の指令は虚しく感覚を失った四肢に流れる。
「直に・・この国も崩れていくんでしょうね」
彼女の切なげな顔が近づく。もはやそこに逃げ場は無かった。


彼女が目を覚ましたとき、既に日は昇りきっていた。
「・・最低だ」
頭が痛い。昨晩のアルコールが残っているのだろうか。
気だるそうにテレビのリモコンに手をかける。
「相次ぐ少女の失踪と死体での発見に共和国震撼」「連続殺人鬼の似顔絵公開」

報道は過熱を極めていた。


ふと隣を見る。
――小さなベットに窮屈そうに身を沈める一人の男。
彼女と愛を誓い合ったこの男は、愛する女の置かれた状況など露知らず、こうして安眠を享受している。
彼女と重なりあうように寝返りをうつ男。
抱きしめようと手を伸ばす。


『貴女が触れる物は全て壊れていく。彼女もそう。次はあの男かしら』


悪など知らないこの男も、私の所為で傷つくのだろうか
手が止まる。・・夢如きに何を動揺しているんだ。

男が耳元で寝言を呟く。

――涙が一筋流れていく。
私は大切な物を代価にここまで歩んできた。でも、この男だけは・・・

ソフィーヤは彼の腕の中で静かに泣いた。

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