2009年8月26日水曜日

国内の人物

グリゴリー・ブラゴヴォリン
共和国初代大統領。閉鎖的であったリヴィエリトにおいてウィルバー合衆国で政治学・軍事学を学んだ数少ないインテリ。国外から反共主義勢力を支援し、6月暴動が始まるとともに帰国、ヴァリニール国内軍第2軍団を指導。有能な野戦指揮官として、また自由主義諸国との重要なパイプとして自由共和国政府のナンバー2としての地位を確立する。
ヴァリニール共和国成立後、「ヴァリニール自由党」を結成。第1回大統領選挙で見事当選を果たした。
眼鏡をかけた穏やかな風貌の男だが、内戦時には苛烈な戦争指導で知られた。民主主義の闘士として国民の絶大な支持を受ける。


ソフィーヤ・ブチェンコフ

共和国初代首相。ヴァリニール・コサックの父とヴァリニリア人の母を持つ。国家プロジェクトの一環としてルージェノワール王国に留学、経済学を学ぶ。
6月暴動時はコサック系組織を指導。自由政府の対外交渉を任せられ、ウィルバー合衆国の仲介を取り付ける事に成功する。
共和国成立後はコサック系コミュニティーの指導者となり、大統領選においてブラゴヴォリンを強力に支持。ブラゴヴォリン勝利の原動力となった。
現在はブチェンコフ大統領の下首相を務め、国内産業の復興、安全保障の確立等の激務に追われる事に。
留学時代にルージェノワールの華美な服に心を奪われ、以降フリルを愛好するようになったとか。
人民服の一団の中で一人ドレスを着て和平会議に出席した事で知られ、それをキッカケに国外にも広く知られるようになる。



V・C・ジャシチェフスキー
自由人民艦隊司令官。最終階級は自由政府海軍大将。
リヴィエリト人民解放海軍レムストポリ艦隊の司令官としてエレーサ砲撃の命を受けるが、市民に対する無差別攻撃を拒否。ヴァリニール全土に決起を促す放送を行う。
西ヴァリニール自由共和国が成立するとこれに帰順。自由人民艦隊の司令官に任命され、ヤード海軍と交戦する。
彼自身はヤード介入後2年で戦死するが、練習艦に名を残す等、ヴァリニール反共革命のキーマンとして記憶される一人。




アルセニー・ベスフメリニツィン
共和国軍統合参謀総長。内戦時はヴァリニール解放コサック軍を指揮。
彼の率いるコサック軍は6月暴動でダヴイドフグラード(レニエフ)を解放し、介入戦争では唯一の機械化軍として多くの犠牲を払いながら勝利に貢献し、英雄として祭り上げられた。
無口で頑固な老人であり、コサックの地位向上を強く訴えている。

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