イヴァインベルク王国
概要
人類文明圏の外縁部に位置する新興の王制国家。
エールリヒ朝初代の国王は夭折し、王位は若いレティシア姫に継承された。
君臨者たる女王を頂点に5人の公爵、13人の侯爵、さらに下位の無数の地方領主、さらに宗教権力者も交えられて政治が運営される。
人類圏の防衛線としての決意は強いが、異文明の優れた技術や知識を吸収し強大化を図る功利的・現実的な面も備えており、レティシアの統治によってその傾向は更に深められつつある。この境界線としての二つの色合いは国内政治にも影響を及ぼしており、「最外縁」である東側諸侯が異文化の積極的な取り入れを推進する一方で比較的安定した西側地域は伝統や他の人類諸国との連帯を重んじる傾向が強い。
彼らの多くは名誉と規律を教義とし、敵の勇気を称え、戦友の死を歌う戦士の血族である。若き女王が彼らの狂った死の信仰の象徴である限り、彼らはレティシアと共に地獄の底まで行軍するだろう。
歴史
イントヴァルドを代々継承してきたエールリヒ家は表向きこそ「公爵」を名乗る事を許されたイヴァインベルク有数の大貴族であったが、「向こう側の者達」と呼ぶ異文明の脅威の前に吹き飛ばされかねない貧しく哀れな地方領主というのがその実態であった。大河を挟んで異邦人と対峙するイントヴァルド公爵領は脆弱な経済力の大部分を領土の防衛に割り当てる事を強いられ、事実幾度とない敵の侵入を多大な出血を伴いつつも撃退した。この過程でイントヴァルド公爵はイヴァインベルク全土の守護者としての名声を獲得していくが、守勢一方の苦しい戦いの中で経済は停滞し、「貧困を軍事的名声で飾り立てた哀れな道化」と憐憫交じりに揶揄される苦境が続いた。
そのような苦境を打開しエールリヒ家中興の祖となったディートリンデはその軍事力をイヴァインベルクの外に、次いで内側に向ける。ディートリンデ女公は父祖が代々抱えた騎兵団を率い大河の向こうへ進出。豊かなニブナリア一帯を切り取る事に成功する。寛大な統治によってニブナリアの経済地盤と戦士達を掌握したディートリンデは対立関係にあったオストメーヒャー、ベッテン、レンドルフの三家を謀略の嫌疑を名分に征服。ニブナリアを合わせ、イントヴァルド公爵領をイヴァインベルク最大の勢力にまで成長させる。その後数代にわたってエールリヒ家はイヴァインベルク有数の大貴族として振舞うが、イントヴァルド公爵の権勢を嫌う諸侯は「向こう側の者達」をイヴァインベルクに誘引し、東西からイントヴァルドを挟撃した。
時のイントヴァルド公爵エメリッヒは「向こう側の者達」とニブナリアの一部割譲による単独講和を結ぶ一方、9000騎の公爵軍とニブナリア兵を率い3万の諸侯軍とグリンジャーで激突、連携の取れぬ諸侯軍を粉砕する。この戦いの後も優勢に戦いを進め、アードルング侯爵領の相続権と経済都市マーツリンゲンを獲得し、イヴァインベルクでの優越性を確固たる物とする。
エールリヒ朝を開闢した先々代イントヴァルド公爵フレデリクは政略によってブレメルリッツの支配権を掌握すると共に、エルナ、ミュンハーハイムの南部二領を軍門に加えイヴァインベルク北西部を除く全域を席巻し、満を持して諸侯を「ブレメルリッツ王国会議」へ招聘。もはやエールリヒ家に抵抗する事ができぬ事を悟った多くの諸侯がこれに従い、フレデリクの子ハインリヒを初代国王として戴君するイヴァインベルク王国が誕生した。
フレデリク老公が北西部で抵抗を続けるミッテルフォスト侯爵と彼の傀儡同盟の掃討の最中に陣没し、ハインリヒもイヴァインベルクの平定から7年で夭折した事で成立間もない王国はにわかに動揺したが、ハインリヒの娘レティシア姫がニブナリア近衛兵を率い王宮を制圧。迅速に王位を継承し、反乱の発生を阻止した。
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